VALUE MANAGEMENT RECRUITMENT

言うだけの人生か、叶えていく人生か。

VALUE MANAGEMENT

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    言うだけの人生か、叶えていく人生か。

    sasayama hyogo 篠山城下町ホテルNIPPONIA

    asago hyogo 竹田城 城下町 ホテルEN

    OSAKA CASTLE 大阪城西の丸庭園 大阪迎賓館

  • 大切なものを失った日に生まれたからこそ、残したいものがある。

常識とたたかい、世の中を変えていけ。SCROLL
何をすれば、自分は輝くか。社会に出る前に、見つけよう。SCROLL
何をするか。それを、誰とやっていくのか。

その想いは、運命を変えられるか。

STORY 02

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私たちの人生に、何してくれるんですか新婦になるはずだった女性は、泣いていた。

 心待ちにしていた自分たちの結婚式が、‘式場がオープンできなくなったから’という理由で突然、できなくなってしまった。すでに招待状を送ってしまっているし、ウエディングドレスも、会場を飾る花も決まっている。何より、人生の新たな門出である結婚式が会場の都合で消えてしまうなんて、こんな幸先のわるい話はない。
 「大変申し訳ございません」。スタッフの声が、虚しく響いた。そんな言葉で済まされることではない。が、スタッフは謝ることしかできなかった。手をつき、頭を地面につくほど深く下げ、何度も繰りかえし、謝った。近いエリアに自社で他の会場を持っていれば、代わりの場所として提案することもできる。だが、創業から間もないバリューマネジメントには、その選択肢がなかった。他社の結婚式場に事情を話し、「1組でもいいから受け入れてもらえないか」と嘆願もした。が、あまりに急なことで、どの会場にもそんな余裕はなく、むしろ「何をやっているんだ!」と呆れられた。
 打つ手なし。すでに予約済みだった50組のカップルに、ひたすら謝りつづけるだけの日々。自分たちの無力さが、悔しかった。何も考えられないほど、ただただ、悔しかった。

 ことのきっかけは、資金調達を担当していたA社が突然、潰れてしまったことにある。当時、この神戸迎賓館(旧・西尾邸)を結婚式場として再生させるプロジェクトには、複数の会社が関わっていた。営業や施設運営を担当するバリューマネジメントと、オーナーの代わりに不動産を所有し、資金調達を担当するA社だ。
 西尾邸は、3000坪の広大な敷地に建つ重要有形文化財。これを改修し、結婚式場にするには8億円以上もの資金が必要だった。ただでさえ難易度の高い資金調達に、プロジェクトメンバーは皆、不安を感じていた。だが、資金調達担当のA社は、「大丈夫です」「絶対やります」の一点張りだった。その言葉を、信じていた矢先の出来事だった。
 資金がなければ工事費は払えず、改修工事はストップせざるを得ない。工事ができなければ、オープンの目処もつかない。バリューマネジメントには、古い建物を再生させるノウハウはある。施設を運営し、事業として成果を出す力もある。ただ、お金だけがない。お金がないと何もできないという事実が、氷のように冷たくプロジェクトメンバーの心に突き刺さった。「素敵な結婚式場で働ける」。そんな夢を見て集まっていた式場スタッフたちも、一人またひとりと、散っていった。2006年、5月。工事が完全にストップした西尾邸には強い風が吹きつけるばかりだった。

しかし、ここで諦めるわけにはいかない理由があった。

 それが、邸宅のオーナー・西尾氏の存在である。西尾氏は、この邸宅の三代目当主として生まれ幼少期をここで過ごした。父とふたり、広間の大きなテーブルを囲み晩餐をした思い出もある。その西尾氏は、70歳を超えていた。そして、1919年に竣工したこの邸宅も、老朽化が激しく進行していた。
 4代目となる息子に継ぐ前に修復を済ませ、管理・維持していける仕組みを作りたい。それが、西尾氏のつよい願いだった。それができないなら、行政に物納するしか道はない。修復だけでも莫大な費用がかかる重要有形文化財の管理などとても個人で背負えるものではないが、なんとかして残し、後世に継いでいく手立てがほしい。
 西尾氏は、わらにもすがる思いで、専門家の力を頼った。それが、このプロジェクトの始まったきっかけなのである。さらに、高齢の西尾氏自身には、残された時間が少ないという焦りの気持ちもあった。そんな西尾氏の想いを知っていながらプロジェクトから降りることなど、バリューマネジメントには、考えもつかなかった。

 また、この西尾邸には、これまで数々の災いを乗り越えてきた歴史がある。第二次世界大戦の戦禍を逃れたかと思えば、終戦後、GHQの手に渡ってしまうということもあった。だが、奇跡的にまた個人に返還された、数少ない邸宅である。さらに、1995年には阪神淡路大震災が起こるが、震度7の揺れを受けても、この西尾邸はびくともしなかった。
 数々の災いを経て、今、ここに存在している。それは、決して当たり前のことではなく、奇跡のように尊いことなのだ。「残したい」。西尾氏と、バリューマネジメントの想いは同じだった。この気持ちが、原動力であり、希望の光だった。
 バリューマネジメントの代表で、プロジェクトのリーダー的存在でもあった他力野は、メンバーにまっすぐな気持ちを伝えた。辞めないでくれ、とはとても言えない。「僕は、諦めていない」。この言葉に共感した一部のメンバーが、残ってくれた。

そして、資金調達に奔走する日々が始まった。

 バリューマネジメントに向けられた世間の目は厳しいものだった。一度オープンが頓挫したことから、業者や関係者などの周囲からも「本当にオープンできるのか」と疑いの目で見られていた。数ヶ月後、なんとか資金は確保できたものの、決して潤沢な資金とはいえなかった。一度工事がストップしてからの再開ということもあり、コストは予定よりも大きく跳ね上がっていた。
 重要有形文化財である母屋の部分はなんとか改修をやり切ることができたが、 式場として収益を出すために増築した2棟の新しい建物には、資金が足りそうになかった。もはや、本来の計画にこだわっている場合ではない。本来なら、最高級の素材を使いたかったが、それは、オープン後に体力がついてからもう一度追加投資をするという方向になった。正直、納得はいかない。でも、オープンしなければ、何も始まらない。とにかくオープンさせることを目標に、走り続けた。

 資金調達に失敗したA社の代わりには新しくB社が来て、不動産管理を担当することになった。B社とは、意見が分かれることも多かった。「この費用は、西尾さんが出すべきなのでは」そんなことを言う人もいた。しかし、バリューマネジメントは、いつも西尾氏の事情や考えを、尊重した。誰に対しても、つねに歩み寄りの姿勢を貫いた。
 バリューマネジメントには、オーナーの不動産を奪いにこうという気持ちは、一ミリもなかった。どうやったら残すことができるのか。それだけを純粋に考え抜いた。事業として、いくら儲かりそうなことでも、「残すこと」に繋がらなければ、提案さえしない。儲けることが目的ではない。極論を言えば、オーナーの力だけで残せるのであればバリューマネジメントは関わらなくてもいい。「こうやって残しましょう!」「こんな方法も、いいですよね」。西尾氏と、バリューマネジメントは、この西尾邸を残す、という同じ目標に向かい、少しずつ信頼関係を深めていった。気づけば、季節が変わり、敷地内の桜のつぼみが膨らみはじめていた。

2007年4月、神戸迎賓館は、ついに晴れてオープンの日を迎えた。

 突然の工事ストップから、約1年後のことだった。業界の各方面からは「すごいものができた」と賞賛されたが、他力野をはじめ、メンバーたちの心中は複雑だった。1年前、何の落ち度もないお客様を裏切る、という絶対にやってはならないことをやってしまった。今後この式場がいくら成功しても、その悔いがなくなるわけではない。それに、今後も改修していくべきところや、さらに追加投資が必要な部分がたくさん残っている。まだまだ、安心することはできない。それでも、これまでの経緯を見ていた西尾氏からの信頼は厚かった。「他力野さん。もうあんたに全部、任したい」。たびたびそんな言葉も、もらえるようになった。
 そして、バリューマネジメントに十分な力がついた、2012年。不動産管理会社のB社を丸ごと買収し、ようやく神戸迎賓館の管理・運営における全権を握ることとなる。権利だけでなく、全ての負債も請け負ったため、ただでさえ広大な神戸迎賓館の改修は、長期間に及んだ。オープンから10年以上経って、ようやく増築した2棟の改修が落ち着いた。

 今もなお、見えないところで、神戸迎賓館の改修は続いている。建造物は、常に劣化することも考えると、今後もずっと続いていくのだろう。そしてまた何か災いが、この神戸迎賓館を襲うことがあるのかもしれない。
 しかし、バリューマネジメントは、決めている。この神戸迎賓館は、どんなことがあっても守り抜く。未来のオーナーと一緒に、戦い抜く。「残したい」というオーナーの想いとそこにしかない歴史がある限り、決してあきらめるつもりはない。つよい想いは、きっと運命だって変えることができる。わたしたちは、そう信じている。

「60年前、ここで結婚式したんやで」お孫さんに、そう伝えてほしい。

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