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言うだけの人生か、叶えていく人生か。

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    sasayama hyogo 篠山城下町ホテルNIPPONIA

    asago hyogo 竹田城 城下町 ホテルEN

    OSAKA CASTLE 大阪城西の丸庭園 大阪迎賓館

  • 大切なものを失った日に生まれたからこそ、残したいものがある。

常識とたたかい、世の中を変えていけ。SCROLL
何をすれば、自分は輝くか。社会に出る前に、見つけよう。SCROLL
何をするか。それを、誰とやっていくのか。

一軒の酒蔵から、 日本の未来をつなぐ。

STORY 05

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壁はなくなり、 室内は吹きさらしになっていた。

 かつて城下町のシンボルだった旧・木村酒造場は、老朽化が進み、建物は倒壊しかけていた。建物の外には、どこかの柱だったと思われる木材や、剥がれ落ちた瓦が散らばっている。視察に来た誰もが、あまりの酷さに言葉を失った。
 しかし、そんな廃墟を、目を輝かせながら見入っている男がいた。バリューマネジメントの代表・他力野である。「ここは絶対に、格好いい場所になる」。他力野の頭の中には、この建物が再び蘇り、かつての勢いと趣を取り戻した姿が浮かんでいた。高い天井と、広い空間を横切る太い梁。レストランにリニューアルされた空間で、料理とお酒を愉しむ人々の姿。そんな光景が他力野にははっきりと浮かんだのである。

 旧・木村酒造場は1625年に創業した、実に400年の歴史を持つ酒蔵。長らく竹田城下町の中心的存在だったが、業績不振などの事情が重なり、30年以上前に閉鎖されていた。代々続く地元の名士であるオーナーも、誰も使わない酒蔵の管理を続けていくことは難しく、「まちの活性化のきっかけになれば」と建物を朝来(あさご)市に寄贈した。
 市は、ノウハウを持たない自分たちの代わりに建物の運営を行なう’指定管理者’を募集し、ある社団法人が名乗りを上げた。そのパートナーとして白羽の矢が立ったのが、バリューマネジメントだった。ただ単に酒蔵を修繕して再生するだけではなく、竹田城下町の歴史や文化を残していきたい。人が集まり、交流の場にすることで、竹田城下町全体の活性化にもつなげたい。
そんなビジョンを描き、社団法人との二人三脚でこのプロジェクトがスタートした。2012年春のことだった。

「こんな場所に誰が来るのか?」 社内からは不安の声が上がっていた。

 他力野が前のめりにプロジェクトを進める一方、バリューマネジメントの社内では先行きを不安視する声も多かった。当時はまだ、竹田城が観光地として注目される前。観光地として有名な城崎からは車で2時間以上も離れ、旅行の途中に立ち寄ってもらえる可能性も少ない。さらに、竹田城下町のある朝来市は、同じ兵庫県に住む人ですら「あさご」と読むことができないほど、無名なまちだった。
 そんなところに一体、誰が来るというのか?まともに考えれば考えるほど、このプロジェクトに挑戦する理由が見つからない。
 しかし、だからこそ成功させなければならない、と他力野は考えた。この竹田城下町の酒蔵のように、都市への人口流出が進む地方のまちで朽ち果てつつある歴史的建造物は、日本中に多数ある。それらを救うためにも、成功事例を作りたかった。

 また、もう一つチャレンジだったのは、そのビジネスモデルに前例がなかったことだ。自治体が所有する歴史的建造物を再生する場合、一般的には、運営方法まで自治体側で決めてしまってから指定管理者を募集するという形がとられる。
 しかし、今回の旧・木村酒造場に関しては、施設の運営方法の企画段階から朝来市と指定管理者の社団法人、そして事業者バリューマネジメントの三者が一緒に考え、進めていく形となった。これは、全国でも初めての取り組みだった。
 自治体の所有する建造物を、税金に頼ることなく民間の事業者が運営する。このビジネスモデルを成立させることができれば、今後さらに税収が減ることが予想される日本で、地方の価値ある歴史的建造物を残していくための手立てが一つできることになる。
 絶対にやりきってやる。この酒蔵再生事業を成功させ、いずれは地域活性の中心的存在として人と人の縁をつないでいく場所にしていこう。そんなつよい想いを込めて、旧・木村酒造場は「竹田城城下町ホテル EN」と名付けられ、2013年11月にオープンを迎えた。

客室は、たった4室でのスタートだった。

 竹田城城下町ホテル ENは、「ホテル」という名の通り、レストランに加えて宿泊機能を持つ施設としてオープンした。
 しかし、客室はたった4室。5室以上の部屋を作ってしまうと、旅館業法などの法律の関係上様々な規制がかかり、建物をもとの形のまま残せなくなるという理由からだった。収益面だけで考えると客室数は多い方が良い。ただ、バリューマネジメントとしては、建物をもとの形で後世に残すことをいちばんに考えたのだった。
 これだけ部屋数が少なければ、平日も土日も、常に満室にしなければならない。とはいえ、いきなり稼働率100%にするのは至難の技。まずは、来てくださるお客様1組1組、お一人おひとりに大切に向き合った。スタッフ全員で、心を込めてもてなした。
 だがそのスタッフというのも、必要最小限の人数だった。調理人と、サービススタッフ、ホテルスタッフ、合わせて10名にも満たないメンバー。自治体からの補助金も一切なく、自分たちだけで運営し、収益を生み、運営を継続していく。自分たちがここで行き詰まってしまえば、次にリスクを張って挑戦する事業者はきっと二度と現れない。
 自分たちが、竹田城城下町ホテル ENを守り残していくための、最後の砦だという覚悟があった。なんとか軌道に乗せようと、皆が必死だった。地元のお客様からも、もっとたくさん来ていただきたい。そのための手段も、あれこれ考えた。

 そんなバリューマネジメントの想いが裏目に出てしまうこともあった。地元の方に、もっと気軽に利用していただけるよう、ランチメニューのコース単価を大幅に下げ、1000円代のお手軽なコースを出した時のこと。
 ある日、お客様からお叱りを受けてしまった。「わざわざ来たのに、これですか。本当にがっかりしました」。よくよく聞けば、そのお客様はバリューマネジメントが運営する他の施設のファンで竹田に新しいお店ができたというからわざわざ来てくださっていたのだった。ご期待に応えられなかったことを反省し、すぐにメニューは元の価格帯に戻したが、何よりスタッフたちの心に残ったのは、はるばる遠方から竹田城城下町ホテル ENを目的に来てくださっているお客様がいらっしゃるということ。
 当初、「こんなところに誰が来るのか?」と誰もが思っていた竹田城城下町ホテル ENに、人が集まってきつつある。その事実は、スタッフたちの気持ちを、どんな励ましの言葉よりも強く支えた。

竹田城下町が、 訪れたいまち、帰りたいまちに。

 観光地としての竹田城ブームも追い風となり、少しずつ、竹田城城下町ホテル ENの存在が知られるようになってきた。
 竹田に帰省した時にその存在を知り、「結婚式は地元で」と竹田城城下町ホテル ENを選んでくれる人もいた。また、その友人の結婚式に参加して、「これはすごい」「ここで働きたい」と、竹田城城下町ホテル ENで働くために、東京から竹田に戻ってきてくれた人もいる。
竹田城城下町ホテル ENをきっかけに、地元に戻って来る人が、少しずつ見られるようになってきていた。

 ある日、近くに住む60歳の女性が「ここで働きたい」と訪ねて来た。聞けば、20歳でお見合い結婚してから一度も外で働いた経験はないと言う。だが、竹田城城下町ホテル ENの想いに共感し、「私も地元のために、何かしたい」と自らスタッフに応募してくれたのだった。
 皆それぞれ、地元に対しての深い想い入れがある。その想いが、竹田城城下町ホテル ENという場所を起点に、つながり、広がりはじめた。こうして地元に雇用とキャリアが生まれることで、さらに人は集まり、まちは成長していく。
 私たちが目指していること。それは、日本中の過疎化が進む地方を、もう一度活気あふれる姿に戻し、その地域ならではの魅力を活かした新しい姿へと進化させていくこと。まずはここ竹田城城下町ホテル ENから。一つひとつのご縁を大切に、つないでいきたいと思っている。

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